HAKATA LANTERN

先日福岡市で、中州の川沿いに公衆便所を作るって言うデザインコンペがあったので、提出案を載せておきます。(落選ですけどね)

テーマはズバリ
「公共建築のあり方」です。
形態的にデザインがかっこいいとか、管理しやすいとか汚れにくいとか、それはもちろん大切な話ですが(本当はそれが本来のコンペ趣旨なんでしょうけどね^^;)、今回言いたかったのはもっと根本的な話で、公共施設を作るにあたっては、作る過程でどんな形でも良いので周辺住民を巻き込んで一緒に作っていくしかけをすべきだと言うことです(まあ行政側にしてみればコンペの審査員に商店街の会長を入れてるとかそういうことなんでしょうが)。

できたときは美しくても時間とともに朽ち果てていく悲しい公共建築物をいくつも見てきました。
物は小さな便所ですが、そんな建物を増やしちゃいけませんよと、公共施設を作る側の人たちに伝えたかったわけです。

設計料がめちゃくちゃ安いので、とっちゃった方は大変だとは思いますが、業務的な赤字を覚悟の上で応募された建築家諸氏には敬意を払いたいと思います。
がんばっていきましょう^^;。



このランタンはセードの替りに、飲食店の多いこの地域で利用されたガラス瓶をまとい、日中は外光が瓶を通して建物内に差込み、夜間は逆に内部照明が外に向かって瓶の色を照らし出す
瓶を通したさまざまな色の光は街の記憶を照らし出す。

公共施設で悲しい運命をたどるものは、周辺住民の施設に対する思い入れがないことに起因するものがほとんどではないだろうか?お上がいつの間にか作っていたということではなく、建設地周辺の人々が、何らかの形で建物ができていく過程に関わる事が重要だと思われる。瓶は工事期間を通じて周辺店舗などから空いたものを持ち寄ってもらう。完成後に見返したとき、このランタンは人々の記憶と街の記憶をそこに留め、照らし出してくれるだろう。

ランタンの下部はステンレスメッシュにツタをはやし、瓶の灯篭と地表面の境界のグラデーションとする。
地表から生え出したこの灯篭(ランタン)は、水面に映る夜の街の光に重なりあう。

建物が本当の意味でできあがっていくということには、ただ単にその機能を満足し、個別のデザインを成立させればいいということだけではなく、できる過程や維持管理を含めて周辺とどういう関係性を持っていくのかが重要なのではないだろうか。